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アメリカの五大湖の一つミシガン湖に面する広大な州・・・ミシガン州。ミシガンと言う言葉はネイティブアメリカン(アメリカ・インディアン)の言葉で”大きな湖”を指すそうである。此処のセルフリッジ州空軍基地で防空任務を請け負っていた飛行隊が、第171戦闘迎撃飛行隊 (171st FIS)だ。飛行隊の歴史は第二次大戦中の1943年にP-47サンダーボルト戦闘機で始まるが、イギリスに本拠地を置いて、B-17やB-24の爆撃機の護衛からスタートしている。このページでご紹介するのは、F-4C戦闘機の配備を受けて1978年から1988年の10年間に迎撃飛行隊として活躍した期間のものである。機体の塗装は、前代のF-106の塗装を受け継ぎ、ライトグレーの機体に黄黒のチェッカーと黄のシェブロンを入れた美しいマーキングで有名な飛行隊であった。また、ウィリアムテル'82競技会(1982年10月開催)参加の際の描かれた各機のノーズアートも注目を浴びている。(2023年7月 記)
F-4C 171st FIS / Michigan ANG
(F-4C 1978~1988)
↑ 同飛行隊がウィリアム.テル82に参加した際に、カメラマンたちが注目したのが、各機に書かれたノーズアートで、非常に凝ったものが多かった。本機は、地元民間人のブランベル氏が描いたもので、1970年代に流行したグラフィックアートをもじったデザイン。禿鷹の横に書かれたスラングは「我慢するなんてアホじゃないか・・」「忍耐なんてクソだ」みたいな意味だ。
↑ 1983年8月に撮影された171st FISのF-4C/63-7626。左側面の機種には”No More Mr.Nice Guy"の文字とモンスターのノーズアート。
↑ 1979年7月に地元セルフリッジで撮影されたF-4C/63-7622。ベトナム後期迷彩を施されているが、ルークの58th TFTWから移管されてまだ間もない頃であり、1979年には既に同隊にエアクラフトグレーで塗装し直された機体が存在していたので塗装変更、過渡期のものである。
↑ 1983年8月Des Moinesで撮影された同飛行隊14号機、F-4C/63-7583。奥にはモンタナ州空軍のF-106らしき機影が写っている。
↑ 1980年5月ノースダコタ州ヘクター空港で撮影された同隊12号機。F-4C/63-7576
↑ 1981年6月撮影された171st FISのF-4C/63-7536。ウィリアムテル84参加前に、一部の機体には既にパーソナルマーキングが入っていた事が判る写真である。絵柄はミサイルを両手に掲げるバイキング風の男と”CYRANO THE FEARLESS"の文字。これらのアートの大部分は、地元のモデラーなど民間人が協力して描かれたとされる。
↑ 1981年6月セルフリッジ州空軍基地で撮影された同隊11号機、F-4C/63-7536
↑ 1984年6月にセルフリッジで撮影された171st FISのF-4C/63-7475。移管されたF-4Cはルークで訓練に使われていた機体が多かったようである。
No.19”No More Mr.Nice Guy"
↑ 機首のイラストは、ブランベル氏の作品でゴミ箱に屯す2匹のドブネズミ。文字は”double Trouble”は厄介な奴ら・・・二人になると悪いことをする等を意味するらしいので、ファントムの2名のパイロットと掛けているジョークかもしれない。
↑ F-4Cの機首にはヘルメットをかぶったコブラ君のイラスト、これもブランベル氏の作品であるが書かれている文字の意味は不明。恐らく"Trust Me”を強調しているのがと思うが、「俺を信じろ!」と言いたいのかもしれない。
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↑ 1979年7月にセルフリッジで撮影された同隊20号機、F-4C/64-0707。上写真の16号機と同じ1979年撮影であり、この頃はベトナム迷彩のまま、ラダーに黄黒のチェックを入れていた機体がまだ多く残っていたようである。恐らく1981年までに順次ライトグレーに塗り替えられたものと推測される。同隊には20機以上が配備されていたようで、22号機までの写真が存在する。本飛行隊はカナダ国境と五大湖周辺の防空任務を担当していた。
↑ 1979年8月ミネソタ州ダルーズで撮影されたF-4C/63-7618。翼下のパッケージポッドには、171st FISの上部組織であった”191st FIG”の文字。
↑ 1981年8月にセルフリッジ州空軍基地で撮影された171st FISの01号機、F-4C/63-7412。胴体後部に書かれたナンバーは、シリアルの古い順にナンバリングがされたようで、恐らくこの機体が一番古い機体と思われる。
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